2011年、東日本大震災が発生しました。
東京電力福島第一原子力発電所での事故が起こり、30Km圏内にあった福島農場は警戒区域となってしまいました。
小型トラクターが搬出できたのみで、以降は地域一帯の出入りも耕作も禁じられ、やむをえず農場の移転を決意しました。
諦めることなくすぐに埼玉県庁に出向き事情を説明したところ、埼玉県と秩父市から耕作放棄地を紹介していただき、
リースで秩父に農業参入することができました。
しかし現実は厳しく、土地はトンネル工事の残土やサッカーボール大の岩がゴロゴロと出てくる荒れ地でした。途方に暮れました。
しかし、そんな状況を救ってくれたのはボランティアや地元の方々の協力や支援でした。
苦境を乗り越え、また秩父でゼロから一歩一歩前進を重ね、現在に至ります。
秩父農場は福島農場と同じく高山冷涼で、荏胡麻栽培には申し分ありませんでした。
またかつてはこの地でも、荏胡麻が栽培されていました。奥秩父には「二度芋田楽」という昔ながらの郷土料理が残っているのですが、
この田楽みそにも荏胡麻が使われています。つながりはあるのです。
生産する地域こそ変わりましたが、荏胡麻の魅力を伝えていくことに変わりはありません。
福島で10年間育んできた荏胡麻の可能性を、秩父でより大きく開かせていきたいと考えています。
少しずつ地域を巻き込み、やがては産地化して行くことを目指しています。